野崎幸助の経歴がヤバイかった?生い立ちや仰天エピソードや財産のその後とは?

和歌山県田辺市の資産家で「紀州のドン・ファン」と呼ばれた

酒類販売会社の元社長、野崎幸助さん(当時77歳)に18年に亡くなったことで、

県警が元妻の須藤早貴容疑者を逮捕したことで話題になっています。

一代で資産を築いたことで、生前もかなり話題になっていましたね。

それで今回は、野崎幸助さんの経歴がヤバイかったや

生い立ちや仰天エピソードやその財産とその後についてまとめてみたいと思います。

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野崎幸助の経歴がヤバイかった?

野崎幸助のプロフィール

名前     野崎 幸助(のざき こうすけ)

別名    紀州のドン・ファン

生年月日  、1941年~2018年5月24日(77歳没)

生誕地    和歌山県田辺市

職業    実業家

和歌山県の実業家で、多様な女性関係を得るために莫大な資産を築いたことを著書中で明言していて、

このことから次々と女性を誘惑するスペインの伝説上の人物とかけて「紀州のドン・ファン」として知られた。

デヴィ夫人と交友関係があった。

2018年5月24日自宅の寝室で倒れているところを発見され、死亡が確認されました。

現在もその真相がわかってませんが、早く解決されるといいですね。

野崎幸助の生い立ちは?

紀州のドンファン」こと野崎幸助さんは、1941年に和歌山県田辺市に

7人きょうだいの3男坊として生まれ、

実家は貧しく地元の中学を卒業後、金持ちになることを目標にすぐに働きに出て、

鉄屑拾いからコンドームの訪問販売員、

酒類販売業、不動産業、金融業まで様々な事業を手掛け、裸一貫から巨額の財を築きました。

そのバイタリティは物凄い執念で築き上げてのでしょうね。

野崎幸助の仰天エピソードとは?

コンドーム販売で稼いだ金をドンファンは投資や「金貸し」でさらに増やしていく。

金持ちとしての道を歩み始めたドンファンは、北新地の高級クラブなどに通うようになる。

そして、東京で本格的に「金貸し業」を開始。以来、着々と資産を積み上げながら高級クラブなどに通いつめ、

「美女4000人を抱く男」となったのだった。

ドンファンを「有名にした」のは、2016年の2月のある事件がきっかけで、

前例のない事件ということで、ワイドショーをはじめとするマスコミがこれを取り上げました。、

野崎幸助を有名にした強盗事件とは?

自称モデルの女はとある交際クラブに登録しており、ドンファンとはそこで知り合った。

ドンファンは彼女と会うたびに数十万円を渡していた。女は何度かドンファンのうちに通ううちに、

ドンファンの自宅に高級貴金属などが置いてあることに気づいたのだろう。

女が逮捕されたこの事件をきっかけに、野崎幸助さんは数多くの番組や雑誌に登場してたちまち有名になったようですね。

こんなに稼げるなんて凄い才能ともいえるでしょうね。

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野崎幸助の財産とその後は?

野崎幸助さんが金融業や酒の卸売業など幅広い事業で築いた財産は、

約13億2000万円になるようですね。

今回の須藤容疑者の逮捕を受けて、遺産相続についてですが、

蝶野弘治弁護士によると、「(相続人が)殺したということで有罪が確定した場合、

相続人として受けられる地位・金銭・財産を受け取る資格は無くなるということになります」

という事で、野崎幸助さんの遺言どうりに、和歌山県田辺市に寄付されることになるでしょうね。

野崎幸助の経歴がヤバイかった?生い立ちや仰天エピソードや財産とその後は?まとめ

今回は、野崎幸助さんの経歴がヤバイかったや

生い立ちや仰天エピソードやその財産とその後についてまとめてみました。

資産家の野崎幸助さんの生涯は波乱万丈でしたが、ある意味羨ましいい人生だったのと思います。

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