松原みきの現在や旦那は?2020年世界47ヵ国でTOP10入りの快挙の理由は?

歌手の松原みきが1979年11月にリリースしたデビューシングル「真夜中のドア」が、

今世界の47カ国でTOP10入り話題となっていますね!

いったい何があったのでしょうか?

それで今回は、そんな松原みきさんの現在や旦那

2020年世界47ヵ国でTOP10入りの快挙の理由についてまとめてみたいと思います。

スポンサーリンク

松原みきが1979年11月のデビューシングル「真夜中のドア」が、今世界で話題!

1979年にリリースされた松原みきさんのデビュー曲「真夜中のドア/stay with me」が、

サブスクリプションサービスのSpotifyでこの1年で約460万回再生されていることが分かった。

100万回以上の再生が確認されたApple Musicでは11月第1週にギリシャ、ブルガリアなど

12カ国のJ-POPチャートで1位を獲得。世界的な“真夜中ブーム”の様相だ

引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/31dfe95b747efa03298abc27f7e59ab1188b333e

松原みきの真夜中のドアはこちら↓

今でもこの歌は車でよく聴いています。当時シティーミュージックの先駆として

良い曲は時代が変わっても良いと評価されるんですね!

松原みき「真夜中のドア」についてのネットの声は?

松原みきさんのライブが見られないのがとても残念ですが、

世界中でこの曲が愛されている事を知り本当に嬉しいですね。

松原みきの現在は?

歌手の松原みきさんは残念ながら44歳位の若さで他界されています。

松原みきさんの死因は子宮頚ガンという事でした。

闘病生活は3年にも及んでしまいその間は当然のことながら

音楽活動は休止となり、病と戦っていました。

しかし、残念ながら病魔には勝てずに44歳でこの世を去りました。

既に末期ガンのレベルまで行ってましたが、良性の腫瘍に変化した時もあり、

直る可能性も少しはあったのかもしれませんが、残念でなりませんでしたね。

松原みきの旦那は?

松原みきさんの旦那の名前は本城真樹さんと言います。

1953年生まれで、現在は67歳になります。

1975年に慶応大学経済学部から、東京医科歯科大学に入学し直し、

1984年に卒業されて、1986年には歯科医院を開設しました。

慶応大学在学中からジャズ・ドラマーとして活動し、

卒業後は米軍の横田基地で黒人ミュージシャンとともに

「ブッダ」というバンドを組み、ライブ活動しましたが、

残念ながらレコードデビュー直前で病気のため解散しました。

東京医科歯科大学入学後、ブレッドアンドバター、弘田三枝子、

松原みきなどのバックバンドでドラムを叩き、

その時の出会いから二人は結婚されたようですね。

松原みきさんの旦那の本城真樹さんですが、2017年死去されました。

死因については、わかっていません。

松原みきのプロフィールは?

名前      松原みき

生年月日    1959年11月28日(享年44歳)

出身地     大阪府堺市平岡町

血液型     0型

ジャンル     ニューミュージック

職業       歌手、作詞家、作曲家

母親はクレージーキャッツと一緒に歌った事もあるというジャズシンガーで、

3歳からピアノを習い始め、ジャズに親しんだ

1972年に堺市立平岡小学校からプール学院中学校に入学。

この頃よりロックに興味を持ち、ロックバンド「愚麗」に加入し演奏活動を始める。

1975年プール学院高校に進学されました。

「吉野家バンド」のキーボーディストとして京都のライヴハウス磔磔で活動。

1977年高3の時に歌手デビューのため単身東京へ行き、

文化女子大学附属杉並高等学校に転校。

米軍キャンプなど各地で演奏し、六本木のジャズスポット

「バードランド」に飛び入りしたところ、世良譲に絶賛されました。

1970年代から歌手活動をスタートし、

ニューミュージックでもなくアイドル歌手でもない独自路線を

進んだ歌手でもあり、個人的には松原みきさんの歌声は程よく強く

透明感がありとても魅力的で

今でもその時の印象が深かったのを覚えています。

松原みきの真夜中のドアが2020年世界47ヵ国でTOP10入りの快挙の理由は?

1979年にリリースされた歌手の松原みきさんのデビューシングル「真夜中のドア/stay with me」が、

世界のApple Music J-Popランキングにおいて12カ国で1位を獲得し、

合計47カ国でTOP10入りという何とも不思議な事態が発生しました。

この世界的ヒットにはリリースから41年の時を経て起こったリバイバルヒットの裏には、

じつはインドネシア人のYouTuberの存在がありました。

でいったいそのインドネシア人のYouTuberは誰なのでしょうか?

スポンサーリンク

インドネシア人のYouTuberとは誰?

インドネシア人のYouTuberの名前は、レイニッチさんという方で、

レイニッチさんはインドネシア生まれの、スマトラ島在住のYouTuberです。

アメリカ人歌手Doja Catの「Say So」を日本語に訳し、

80年代シティーポップを思わすカバーで歌い上げたところ、

1800万再生も射程内の世界的人気になりまして、この事態を世間が放っておかず、

9月に同曲で日本メジャーデビューして、

10月にセカンドシングル「真夜中のドア / STAY WITH ME」をリリースしました。

この「真夜中のドア/stay with me」は海外を中心に、

サブスクリプションサービスSpotifyでは直近1年間で460万回、Apple Musicでは100万回以上再生されました。

特にインドネシアでは1ヵ月で3万回再生を記録したほか、

タイ、マレーシアでも再生数が大きく伸ばすという快挙を実現しました。

レイニッチの「真夜中のドア / STAY WITH ME」はこちら↓

ここ数年の間に日本の1970年~1980年代のシティポップスが世界的に人気となっている中で、

「真夜中のドア/stay with me」は公開から約1ヵ月のうちにアメリカで15万回再生を突破したのは

凄いことだと思います。

松原みきの現在や旦那は?2020年世界47ヵ国でTOP10入りの快挙の理由は?まとめ

今回は、松原みきさんの現在や旦那と2020年世界47ヵ国でTOP10入りの快挙の理由について

まとめてみました。

松原みきさんは亡くなられて十数年経ちますが、『真夜中のドア』という曲は、

時代を超えて多くの人たちに支持されていることがわかりました。

あの当時の曲が今の人達にも好まれるのは本当に嬉しいです。

スポンサーリンク